WORK & THINK #05|HUMAN
前回は、人間の「注意」について考えました。
目の前に情報があっても、
表示されること。
見られること。
理解されること。
これらは、すべて同じではありませんでした。
では、無事に情報を見つけて、内容まで理解できたとします。
これで「伝わった」と考えていいのでしょうか。
実は、もう一つ大きな壁があります。
人は、忘れます。
「ちゃんと説明した」
「一度見てもらった」
「そのときは理解していた」
それでも、必要になったときには覚えていない。
今回は、人間の「記憶」からデザインを考えてみます。
人は、どのくらい忘れるのか?
「忘れること」の研究で有名なのが、ドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウス(Hermann Ebbinghaus)です。
1885年、エビングハウスは自分自身を被験者として、記憶と時間の関係を実験的に調べました。
使ったのは、意味を持たない音節の組み合わせです。
意味のある言葉では、それまでの知識や経験が記憶を助けてしまいます。
そこで、なるべく意味の影響を受けないものを覚え、時間を置いてからもう一度学習し、
「再び覚えるには、どのくらいの学習が必要になるか」
を測定しました。
この研究からよく知られるようになったのが、
Forgetting Curve(忘却曲線)
です。
学習後の比較的早い段階で記憶成績が大きく変化し、その後は変化が緩やかになるという特徴が示されました。

「1日後には○%忘れる」は本当?
忘却曲線を検索すると、
「20分後には○%忘れる」
「1日後には○%忘れる」
といった数字を見かけることがあります。
ただし、
「すべての人間は、1日経つと覚えたことの○%を忘れる」
という法則として理解するのは適切ではありません。
エビングハウスが調べたのは、大勢の人に仕事の説明を覚えてもらった実験ではなく、
エビングハウス自身が、意味を持たない音節を学習した実験
だからです。
何を覚えるのか。
その人にとって意味があるのか。
すでに関連する知識を持っているのか。
何度触れたのか。
あとから使ったのか。
こうした条件によって、記憶のされ方は変わります。
忘却曲線から大切なことを一つ持ち帰るなら、
「一度理解した情報が、そのままずっと同じ状態で残るわけではない」
ということだと思います。
「理解した」と「思い出せる」は別
ここから、日常に置き換えてみます。
月曜日の会議で、
「来週から、申請方法が変わります」
という説明を受けたとします。
説明を聞いたときには、
「なるほど、分かりました」
と思った。
ところが翌週、実際に申請しようとすると、
「あれ、どうするんだっけ?」
となる。
月曜日には理解していたのです。
でも、本当にその情報が必要なのは翌週でした。
つまり、
その場で理解できることと、
必要なときに思い出せることは違います。

前回の図とつなげると、
SHOWN → SEEN → UNDERSTOOD → REMEMBERED → RETRIEVED
と続きます。
作り手が「伝えた」と思ってから、実際にその情報が役立つところまでには、思っている以上に長い道のりがあります。
「忘れた」にも種類がある
例えば突然、
「徳川幕府を開いた人は?」
と聞かれて、
「誰だったっけ……」
となったとします。
ところが、
家康?
秀吉?
信長?
と選択肢を見せられると、
「家康!」
と分かる。
情報が完全になくなっていたというより、思い出すための手がかりが足りなかったと考えられます。
「あの俳優の名前なんだっけ?」
と出てこなかったのに、
「『た』から始まる人」
と言われた途端に思い出すこともあります。
記憶には、「覚える」だけでなく、情報を保持し、必要なときに取り出すという過程があります。
だから、
「覚えている?」
だけでなく、
「必要なときに取り出せる?」
まで考える必要があります。
日常では「あとでやろう」をよく忘れる
もう一つ、身近な例があります。
朝、
「帰りに牛乳を買おう」
と思ったとします。
その瞬間は、間違いなく覚えています。
でも仕事をして、
メールを返して、
電車に乗って、
家の近くまで来て……
「牛乳!」
となる。
こうした「未来にやろうとしたことを覚えておく記憶」は、心理学では『展望的記憶(Prospective Memory)』と呼ばれます。
面白いのは、スマートフォンのリマインダーです。
「18時になったら牛乳を買う」
と設定しておけば、スマートフォンが知らせてくれる。
これは、
人間の記憶力を高めているわけではありません。
必要なタイミングで、
思い出すための手がかりを外に置いている
わけです。
この発想は、そのままデザインにも使えます。
デザインならどう考える?
例えば、あるサービスが、
- Webサイトで説明を読む
- 登録する
- 数日後に店舗へ行く
- 店頭で操作する
という流れだったとします。
Webサイトには、店頭での操作方法が詳しく書いてあります。
だから作り手としては、
「ちゃんと説明してあるから大丈夫」
と思うかもしれません。
でもユーザーがその情報を必要とするのは、
数日後の店頭
です。
だったら、
数日前に読んだ説明を思い出してもらうより、
店頭で、
STEP 1 ここをタップ
と表示した方がいいかもしれない。
必要なタイミングで通知してもいい。
以前選んだ内容を表示してもいい。
選択肢をもう一度見せてもいい。
つまり、
人に覚えてもらうのではなく、環境側に記憶の一部を持たせる。
という設計ができます。
「覚える」より「見れば分かる」
UIでも同じことが起こります。
例えば、アイコンだけが並んだメニュー。
毎日使っている人なら、どのアイコンが何を意味するのか覚えているかもしれません。
でも、月に一度しか使わない人なら、
「これ、何のボタンだったっけ?」
となる。
「以前説明したから覚えているだろう」
ではなく、
アイコンの横に名前を書く。
選択肢を表示する。
操作の直前に必要な説明を置く。
そうすれば、
記憶の中から答えを探さなくても、見れば判断できます。

心理学では、自力で情報を取り出す「再生(recall)」と、提示されたものから分かる「再認(recognition)」は区別されます。
そして、この考え方は心理学だけの話ではありません。
UI/UXにも「記憶に頼らない」という考え方がある
WebやUI/UXを勉強したことがある人なら、ヤコブ・ニールセン(Jakob Nielsen)という名前を聞いたことがあるかもしれません。
ニールセンがまとめた有名な「ユーザーインターフェースデザインの10ヒューリスティクス」の一つに、
Recognition Rather Than Recall
があります。
直訳すると、
「思い出させるより、見て分かるようにする」
という考え方です。
ユーザーに、
「前の画面に何が書いてあったか」
「以前どの操作をしたか」
「このアイコンが何を意味していたか」
を記憶しておいてもらうのではなく、
必要な情報や選択肢を、その場で確認できるようにする。
人間の記憶の特性を考えると、とても納得できる原則です。
私は以前、ヤコブ・ニールセンの講演を聞く機会がありました。
Webデザインをしていると、「ニールセンの10原則」のような言葉には何度も出会います。
でも、このブログでは原則を単に暗記するのではなく、
「そもそも、人間はなぜそう設計した方が使いやすいのか?」
というところまで考えてみたいと思っています。
ニールセンについては、UI/UXを扱う回で改めて掘り下げます。
覚えてほしいなら「思い出す」
一方で、どうしても覚えてほしいこともあります。
例えば勉強や研修です。
そんなときには、
何度も読む
だけが方法ではありません。
記憶研究には、『Retrieval Practice(検索練習)』という考え方があります。
2006年のヘンリー・ローディガー(Henry L. Roediger III)とジェフリー・カーピック(Jeffrey D. Karpicke)の研究では、文章を繰り返し学習する場合と、一度学習した内容を自分で思い出すテストをする場合が比較されました。
直後のテストでは再学習の方が有利でしたが、時間を置いたテストでは、思い出す練習をした方が保持成績が高くなる条件が確認されました。
つまりテストは、
「覚えているかを測る」
だけではなく、
「思い出すこと自体が学習になる」
場合があります。
例えば研修でも、
「もう一度資料を読んでください」
だけでなく、
「今のポイントを、資料を見ずに3つ思い出してみてください」
とする。
同じ情報でも、人間の記憶の仕組みを知ることで、伝え方を変えることができます。
「忘れる人」ではなく「忘れる前提」で考える
仕事をしていると、
「前にも説明したんだけどな」
と思うことがあります。
デザインでも、
「前の画面に書いてあったんだけどな」
と思うことがあります。
でも、
人は忘れます。
必要なタイミングで思い出せないこともあります。
だから、
「説明したから覚えているはず」
を前提にしない。
必要な情報を、必要な場所で見せる。
思い出す手がかりを置く。
覚えなくても操作できるようにする。
本当に覚えてほしいことなら、思い出す機会をつくる。
つまり設計する側が考えるべきなのは、
「どうすれば覚えてもらえる?」だけではありません。
その前に、
「そもそも、これは覚えてもらう必要がある?」
と問い直すことなのだと思います。
DESIGNER’S QUESTION
そのデザインは
ユーザーが「覚えていること」を
前提にしていないだろうか?
NEXT THINK
人は、すべてを見ることができない。
そして、すべてを覚えておくこともできない。
では、毎日の膨大な判断をどうやってこなしているのでしょうか。
実は私たちは、
毎回じっくり考えて決めているわけでもありません。
時間がないとき。
情報が多すぎるとき。
よく分からないとき。
人は、素早く判断するための『思考の近道』を使います。
その近道は、とても便利です。
でも、
ときどき私たちを
間違った方向にも連れていきます
参考・関連資料
Ebbinghaus, H. (1885). Über das Gedächtnis.
記憶と忘却を実験的に扱った古典的研究。いわゆる「忘却曲線」の出発点です。
Roediger, H. L. & Karpicke, J. D. (2006). “Test-Enhanced Learning: Taking Memory Tests Improves Long-Term Retention.” Psychological Science, 17(3), 249–255.
検索練習(Retrieval Practice)による長期保持への効果を示した代表的研究です。
Nielsen, J. “10 Usability Heuristics for User Interface Design.” Nielsen Norman Group.
10原則の一つに「Recognition Rather Than Recall」があります。
梅田聡(2001)「し忘れはなぜ起こるのか:認知神経心理学から見た展望的記憶研究」『認知リハビリテーション』6.
「あとで○○しよう」を適切なタイミングで実行する展望的記憶について、日本語で整理した資料です。
本記事のテーマに関連する研究・書籍・資料を、内容確認やさらに学びたい方のために掲載しています。
掲載資料のすべてを筆者が通読したものではありません。